幾千の星の夜を越えて

それは銀河が僕にくれた奇跡

「それぞれの今」と「あの夏」

 

 

 

 

 

 

 

2020年、明けましておめでとうございます。

毎年恒例の、年が変わってすぐに前年の楽曲をランキング形式で振り返る企画。ランキングがどうのこうのというよりも、参加するファンが振り返る1つのきっかけになっていて、それは私にとってもそうで。毎年毎年本当にありがたいなと思う。主催者の方には頭が上がらない。

 

 

 

2020年を迎え、今年も開催ツイートを目にした。好きな人たちの2019年の楽曲を振り返ってみよう、と思った。

 

 

でも、2019年の楽曲を、自分なりに順位をつけるとしたら、何か考えるより先に、1位は決まった。というか、何も考えなくても、わたしにとっての1位は決まっていた。

そして、その「1位」たる歌は、どうしてもわたしを2019年の夏に連れて行く。そういう力を持っているから「1位」以外に付けようがないんだと、きっとわたしは分かっている。その力に抗うこともできずに、わたしは2019年の夏に連れて行かれる。

あの夏、その夏。2019年の夏。

良いとか悪いとか、懐かしいとか戻りたいとか今だって楽しいとか、そういう次元の話ではなくて。ただあの夏を思い出して途方もなく切なくなる。思い出すたびに、こうやって振り返るたびに、途方もなく涙が出る。

 

 

 

2020年を迎えた今、わたしは2019年の夏のその続きを知っている。錦戸さんが関ジャニ∞脱退・事務所から退所をしたこと。関ジャニ∞が47都道府県ツアーを平均年齢35歳超にして12年ぶりに行っていること。錦戸さんがソロ活動を行うと発表し、ツアーをやってソロアルバムを出したこと。関ジャニ∞が5人で「友よ」をリリースしたこと。関ジャニ∞が5人で紅白に出て、カウコンにも出たこと。全部自分の目で見てきた。

見てきた感想として、どれも楽しかった。

錦戸さんのソロツアーが楽しくて、改めて錦戸さんのことが好きだと自覚して、ソロアルバムが良いアルバムで。どこにいたってこの人が好きなんだなと思ったし、好きだと思わせてくれる錦戸さんだった。オーラスの挨拶と、そしてノマドとを見たとき、まさにこのブログに以前書いた''一生''も''永遠''も軽々しく使うのをやめる…という決意も持ちつづけた上で、あの景色を一生愛したいな、と思った。そういう、''始まりの一歩''だった。

そこにいるのは確かに私が大好きな関ジャニ∞であるのに、5人という人数の少なさにびっくりしながら見た「友よ」も、本当に、本当に良い曲だったし、歌う関ジャニ∞はとってもかっこよかった。関ジャニ∞がやっぱり大好きだなと思えて、見ていると元気をもらえた。

 

 

 

 

 

けれど、「咲く、今。」を聞いて思い出すあの夏、2019年の夏、わたしはなーーーんにも知らなくて、ただ十五祭が楽しくて仕方がなくて、でも、なんにも知らなかった。

 

なーーーんにも、というと語弊があるかもしれなくて…当時既に決まっていた、でもわたしたちは知らなかったその事実は、3月7日に某誌によって勝手な尾鰭を付けられたかたちでいちどわたしたちに知らされていた。日にちが日にちだったこともありよく覚えている。木曜日で、レンジャー更新日だった。時差のあるところにいたので朝の4時とかだったけれど、既に3時間くらいめそめそ電話を繋いでくれていた錦戸担の友人とそれを見た。本人はもちろん、他のメンバーもどこにもそんな内容は書いていなくて、でもじゃあ、なーんだガセじゃん、と笑って言えるような状況でもなかった。シングルを出しているのに音楽番組に一切出なかったこととか、「6人揃った」姿を見ることが異様に少なかったこととか、ガセと信じたいその内容の裏付けになりそうなことを言い始めたらキリがなかったから。正直、某誌のそれが出た時からツアーが始まるまで、6人全員の仕事を夏の大型歌番組とセブンくらいしか覚えていない。2つある冠番組でも全員揃っていたことがあった……か??

 

それでも、錦戸さんが好きなわたしは、錦戸さんが「無言実行」タイプで、逆に言うと「言葉にした」ことに関しては何がなんでも絶対にやると知っていたので、「ツアー頑張る」と言っている以上次のツアーまでは確実に、絶対に関ジャニ∞なんだな、ということだけはわかった。少しでも検索すれば色んな人が色んなことを言っていたけれど、好きな人の言うそれだけは確実だなって信用できた。

たぶん似たように感じていたのであろう友人たちとだけ、「もしかして、もしかしたら、最後なのかもしれない」と言い合ってツアーに臨んだ。

 

 

けれど、ツアーに行ってみたら、十五祭があまりにも楽しくて、関ジャニ∞の走馬灯のような、本気のお楽しみ袋のようなライブで、そしてメンバーのそれぞれがあまりにも通常運転で、関ジャニ∞が大好きだという気持ちに改めてぶん殴られたような気持ちだった。最後だとか、最後じゃないとか、少なくともあの3時間には頭をよぎらないくらいずっと楽しいライブだった。

わたしが知っている時代も知らない時代も、8人時代も7人時代も全て、何一つなかったことになんてされずに、楽しかった、だけでは決してなかった日々を全部そのまま「歴史」にしてこれからも進み続けようとする彼らの在り方がまるっと大好きだった。OP映像も、「ここに」前の映像も、「LIFE〜目の前の向こうへ〜」の映像も、ペンライトだってそうだった。そういう場面でわたしは泣いてしまっていたけれど、その映像自体も彼らのスタンスもひとつもじめじめなんてしていなくて、「どんな時も笑っていようぜ!」という彼らの信条そのものだった。

 

 

 

改めて関ジャニ∞が大好きだと突きつけられ、十五祭が楽しくて楽しくて仕方のなかった夏の終わり、その最後まで私が見たのは6人の関ジャニ∞だった。何も変わらずに、最後まで楽しいしかなくて、みんなでダブルアンコールの無限大を歌って、いっぱい泣いて、

「15→16 to be continued」

にまた泣いて。

ああ続くんだなと思った。死ぬほど安心して、死ぬほど嬉しかった。なにか言うとかではなくてこうやって示してくれることがめちゃくちゃ関ジャニ∞らしいなと思った。友人たちと、よかったね、いいライブだったねと噛み締めていた。

 

 

 

でも、6人最後の夏だった。

あまりにも錦戸さんらしすぎる去り方と、錦戸亮がどういう男かをあまりにもよく知っている5人の男の送り方だった。誰にも、どこにも、なにも嘘はなかった。ただ、2019年の夏は関ジャニ∞が6人で過ごした最後の夏だった。

なんにも知らせずに、ただわたしたちを楽しませてくれたあの夏が、輝いて仕方がない。

 

オクロックでジャンプアップで登場してくれたこと。オクロックの新バージョンを披露してくれたこと。眠らせていた曲もいっぱいやってくれたこと。いっぱい踊ってくれたこと。キャンジャニちゃんも見せてくれたこと。ロマネの照明の色。すごくコンパクトなバンドのセットリストでこれまでにないくらい熱狂したこと。アンコール15曲の「楽しい」の畳み掛けっぷり。

関ジャニ∞が最高で最強だって心の底から思えたこと。

オーラスの冒頭の「1000万人達成!」が嬉しくて、ファンの一員でいられたことに泣いてしまったこと。オーラスの勝手に仕上がれのあの空気。

横山くんがオーラス冒頭でなんとも泣きそうな表情だったこと。

村上くんがいつもどおりMCであまり喋らない錦戸亮ちゃんに気付いて「亮は?」って話を振ってくれていたこと。

やすくんが錦戸亮ちゃんに『君というヒカリで照らして連れてって』と歌われている時のあの表情。

丸山さんが何度も何度も錦戸亮ちゃんと目を合わせてはふたりでニヤニヤしていた9/2公演のこと。

大倉くんがこの楽しくて楽しくて仕方のなかった十五祭を中心となって作り上げてくれたこと。錦戸亮ちゃんのことを『マイメン』と言ったこと。

 

 

 

この全部が、2019年の夏にはあった。

なんで本編最後が「咲く、今。」なんだよ、某誌肯定するみたいじゃん!って笑っていた自分が恨めしくもある。でもそうやって思わせてくれるくらい楽しい夏だったことにも、教えてくれずに楽しいで埋め尽くしてくれたことにも、わたしは6人全員にこれ以上ないくらい感謝しています。「ありがとう」と「さよなら」だったんだな。

 

 

 

 

 

関ジャニ∞の曲ではないけれど、2019年の夏は、エンドレス・サマーだったし、そうであってほしいな、と思う。一生も、永遠も存在しないけれど、それでも。

扉はいつもきっとあの夏に繋がっている

「咲く、今。」はわたしにとって、エンドレス・サマーへの「扉」なんだろうな。だからこんなにも大切なんだろうな。

「咲く、今。」という扉の向こうのあの夏は、それぞれの今が始まる、さよならとありがとうの季節だった。思い出すたびに楽しくて、切なくて、だからこそというわけではないけれど余計に輝く。

これからも、錦戸亮ちゃんも関ジャニ∞も、そして渋谷さんも内くんもそれぞれの道を進んでいく。進めば進むほどにいま大切に思うこの思い出も気持ちも、私が少しずつ思い出せなくなるような気もしてしまって寂しさや苦さを感じたりもするけれど、その寂しさや苦ささえも彼が関ジャニ∞であった証のように思えて、だからこそ2019年の夏をわたしはこれからも、余計に大切にできるようにも思う。ずっとずっと、心の中に大事に大事にしまっておきたい。扉も、あの夏も。